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2004年05月 アーカイブ

2004年05月20日

別府アルゲリッチ音楽祭と昼どきクラシック

ちかごろ、興味深い室内楽コンサートを二つ続けて聴いた。
一つは、5月16日(日)の別府アルゲリッチ音楽祭室内楽コンサート、もう一つは、5月18日(火)の横浜みなとみらいホールの昼どきクラシックというコンサートシリーズの一回。
ぼくにとっては、横浜のコンサートがとても楽しく興味深かった。
ウィーン・フィルのヴァイオリン、チェロ、クラリネットの首席奏者と西山郁子というウィーン在住の若手ピアニストの共演。ウィークデーの14:30開演ということで、午前中から所用で横浜に出かけていた妻と落ち合って軽く昼食をとってから会場に入った。中年の婦人や高齢の夫婦が目につく。たぶん、ぼくの世代の男性は少数派なのだろうな。
町の歌というニックネームを持つ、ピアノ、クラリネット、チェロのトリオに始まり、シューマンのクラリネットの幻想小曲集、無名作家のヴァイオリンとチェロ(原曲はビオラ)のパッサカリアなどなど。最後は、ブラームスのハンガリアン・ダンスで締めくくられた。
1時間ちょっとと、コンサートとしては短かったが、なんと入場料がたったの千円。毎月聴きに来る常連も多いとのこと。

コンサートの後、妻と、近くのホテルでお茶を飲みながら余韻を味わった。
演奏者(若いピアニストを除いて)もみんなリラックスしており、聴く側にも、何とも言えぬ余裕というかゆとりが感じられた。
かといって、演奏に手を抜くということもなく、聞き手も、たとえば、チェロとピアノで演奏されたブルッフのコル・ニドライなど、最後の余韻まで聴き逃すまいとするように、拍手が始まる前に、絶妙な空白があった。一方、カステルノーヴォ=テデスコによるヴァイオリンのためのセビリアの理髪師のテーマによるパラフレーズ(初めて聴いた楽しい曲!)など、演奏を終えるか終えないかのうちに盛大な拍手。曲による拍手の間合いの違いからも、聞き手の成熟ぶりが素直に感じられた。
このような反応が、演奏者によい影響を与えないわけはなく、会場には演奏者と聴衆との間の心地よい一体感が拡がっていた。

夕方の横浜港を眺めながら、ぼくたち夫婦は、何とも言えぬ贅沢な時間の余韻を過ごしたのだった。

今聴いたばかりの楽しい演奏会の印象は、自ずから、少し前に聴いた別府でのコンサートを思い起こさせた。

決して悪い演奏会ではなかった。今年で6年目を迎えるというアルゲリッチがプロデュースする音楽祭の掉尾を飾る室内楽コンサートで、音楽祭の参加者総出演で、何と16時開始で終わったのが22時という文字通りのマラソンコンサート。さまざまな弾き手が入れ替わり立ち替わり趣向を凝らした曲目を演奏するのだから、まあ、体力さえあればさぞ楽しい演奏会になるだろうと思いきや、正直なところ、楽しさもそこそこのものだった。というか、演奏者と曲目による落差が非常に大きかった。
不満の一つ。中国のベテランピアニスト、フー・ツォンが弾いたモーツァルトのコンチェルト。
ピアニストの演奏スタイル(大時代がかったショパン風のもの)と、コンサートホールのピアノ(おそらくはニューヨークのスタインウェイ)、若手演奏家たちによる弦楽合奏(管楽器はなし)、近代的な指揮の教育を受けたとはとても思えない指揮者(後で知ったのだが、ロシア生まれでアメリカ在住のヴァイオリニストらしい)といった組み合わせからは、何とも奇妙奇天烈な食い合わせの悪いばらけた印象の音しか聞こえてこなかった。
急いで付け加えておくが、個々の演奏者が決して悪いということではなく、フー・ツォンがアルゲリッチとやったモーツァルトの連弾曲など、個性の違いを認め合った上で合わせよう、といった大人の遊び心が感じられて、それなり以上に楽しめたのだが。

不満の二つ。
イダ・ヘンデルという御年84歳というかつての天才ヴァイオリニスト。
うーん、昔は良かったかもしれないけれど。毒のある言い方になるが、かつての人気歌手が落ちぶれて場末のホテルでディナーショーをやっている感じ、とでも言えばいいのだろうか。
アルゲリッチとのフランクのヴァイオリンソナタを皮切りに、延々と彼女のゆったりしたテンポの大時代がかった演奏を聞かされたのには、正直なところうんざりした。追い越しもままならない細い坂道で、紅葉マークの車の後ろについたような気持ち、とでも言えばいいのだろうか。伝説は伝説として、潔くもっと早くに引退していれば良かったろうに。

不満の三つ。
コンサートが終わって、客席中央前方に座っていた男性が、スタンディングオベーションを始めた。ぼくは、ブーイングこそ控えたものの、とても、盛大な拍手をする気にはなれず、儀礼的な軽い拍手をしていた。
驚いたことに、その男性は、客席の後ろを振り向いて、他の聴衆に向かって、手を動かしてスタンディングオペーションを促したのだった。
こういう気分を、鼻白むって言うんだろうな。
本人が自己陶酔するのはご自由だが、それを他人に強要するのはやめていただきたい。
イダ・ヘンデルの演奏だって、蓼食う虫も好き好きで、魂が打ち震えるほど感動する人がいるかもしれないし、別に、そのことをとやかく言うつもりはない。
しかし、アルゲリッチの出番が終わった後、歯が抜けるように空席が目立ち始めた客席の、いささか寂寞とした雰囲気が分からなかったのだろうか。もしかしたら、イダ・ヘンデルの音楽に共感できない聴衆がいるかもしれない、という想像力は持てなかったのだろうか。

ぼくは、せっかく別府にまで招いてくれた友人への感謝の気持ちが、その男性のせいで、少し後味の悪いものになったことが、残念でならない。

別府アルゲリッチ音楽祭が、地元の多くの音楽愛好家によって支えられていることは想像に難くない。受付やら休憩所の飲食物の販売やら、みなさん、気持ちよく対応してくださっていた。
しかし、このコンサートは、有料のコンサートで、聴きに来ている人たちは、みな客のはずだ。テレビのお笑い番組の公開録画ぢゃあるまいし、聴いた音楽の評価を、どのような形で表すかは、いわば聴衆一人一人の権利と言ってもいいものだと思う。
ぼくは、スタンディングオベーションを強要した男性に、ある種の独りよがり、独善を感じた。
地方都市で、上質な音楽を提供し続けることが困難なことは理解しているつもりだ。だからこそ、個々の演奏者に対しても、プロデュースを行ったアルゲリッチに対しても、時には厳しい評価を表すことが、音楽祭をより良いものに育てていくことに繋がるのではないか。

横浜の昼どきクラシックを聴いて帰った後、ぼくたちは、7月と8月のコンサートのFAX予約も行った。このシリーズ、人気が高くて、FAX予約は、時に抽選になるらしい。

2004年05月22日

La Folia

顧問会計士の中森さんとの定例打ち合わせのため、都内に向かう電車の中で。
妻の幸子が、
「今朝、FMでやっていたのだけれど、La Foliaって、ずいぶんいろいろな時代のいろいろな人がいろいろな変奏を書いているのね」
子供たちが幼かったころ、鈴木メソッドの練習でさんざん聞かされた曲だけれど、もちろん、鈴木メソッドでやるのは、そのうちの、ごく一部の変奏のみ。
で、La Foliaの"Folia"がどうにも気になってたまらなくなった。
たとえば、タランチェラ(tarantella)というのは、タランチュラ(tarantula)という南欧産の毒蜘蛛に刺されてのたうち回る様子からの連想で付けられた激しい舞曲の種類を指すし、ディエスイレ(Dies Irae)は、ご存じ、カトリック典礼の死者のためのミサの続唱で、このメロディーが、ベルリオーズの幻想交響曲やラフマニノフのパガニーニ変奏曲など、多くの曲に使われている。
で、La Foliaは何なのだろうと思って、自宅に帰ってから調べたら、何と、
folia⇒foliumの複数形
folium⇒《紙などの》一葉、一枚
ということで、目から鱗、胸のつかえがスッと落ちた。
folioというのは、書物の世界で二つ折り版のことを指すが、元々は、印刷した紙の一葉から来ているし、金融業界で使われるportfolioも同語源。
で、幸子に
「要は、La Foliaって、音楽のミルフィーユだね」
などと、軽口を叩いて、念のために辞書を見てみたら、
mille-feuille⇒《「千枚の葉」の意》フランス風菓子の一。
とあって、これも同語源。
ついでに、最近健康サプリとして注目されている葉酸もfolic acidで、同語源。
いやあ、いい勉強になりました。
トリビアするかなあ。

2004年05月24日

成都で(言葉と国境)

国際符号化文字集合(UCS)の漢字部分の標準化作業を担当するIRG(Ideographic Rapporteur Group)の会議で、中国は四川省の省都、成都に来ている。
泊まっているのがチベットホテルという名前なのだが、この成都は、麻婆豆腐発祥の地というばかりではなく、チベット自治区の入り口にも位置しているそうで、空港にはトレッキング姿の日本人ツアー客の姿も散見される。
それにしても、中国は聞きしにまさる多言語国家で、よく耳にする北京語、福建語、南京語など、中国各地の方言だけではなく、チベット、モンゴル、タイ、朝鮮半島などと接する地域の少数民族の言葉も含めると、インドもびっくり、というほどの言語と文字がある。
文字コードの標準化、という局面でも、中国は少数民族文化保護政策との関連で、さまざまな、提案をしてくる。イ文字(Yi Script)というのはすでにUCSに入っているし、Dai Script(タイ文字の類縁)やチベット文字の新提案、IPA(国際音声学会)記号への追加など、積極的な動きをしている。
まあ、そうした中には、昔台湾にやってきたキリスト教の宣教師が、ビンナン語に二つある"O"の音を書き分けるために使ったという、右上に付ける点(COMBINING RIGHT DOT ABOVE)を巡る、台湾との小競り合い、といったものも含まれてはいるが。

で、今日、ぼくが考えたいのは、そのような文字コードの些末な議論ではなく、もっと根源的な、言葉と文化の問題なのだ。といっても、田中克彦御大や、三元社から刊行されている『ことばと社会』の向こうを張ろうといった大それたものではない。

最近AFN(American Foces Network、以前はFENと呼ばれていた米軍放送)やインターネットサイトでよく聞いているNPR(National Public Radio:http://www.npr.org)で耳にしたあるコメンタリーのことだ。
幸い、このコメンタリーも、同サイトにアーカイブされているので、実際の音声を聞くことが出来る。
http://www.npr.org/rundowns/rundown.php?prgId=2&prgDate=17-Feb-2004
のページにある、下記のストリーミング。

Commentary: The Gift of Silence in Asian Conflict


Even though both of her parents come from India -- and speak multiple languages of the region -- commentator Angeli Primlani was raised speaking only English. While she initially felt disconnected from her heritage, Primlani has come to believe her parents gave her and her siblings a gift by allowing them to form their own culture.

このセクション全体のスクリプトも有料ではあるがダウンロードすることができる。

本当は、全文を試訳してみたのだが、NPRは著作権を主張しているので、このアップロードは控えることにする。その代わりに、簡単に要約すると。

コメンテーターの女性は、インド=パキスタン国境付近のシンディ(言語名にも使われている)と呼ばれる一族の難民二世でシカゴ在住。姉妹が一人いる。
彼女たちが幼いころ、両親は、両親の母語であるシンディを教えてはくれなかった。彼女たちはもっぱら英語で育てられた。
ある時彼女は両親にその理由を尋ねる。
父親の返事は、しごく曖昧なものだった。
「シンディは滅びるに任せるしかないかなあ」
So, I asked, why didn't they teach us their language, Sindhi. `India has too many languages,' my father said. `Let's let this one die.'

実のところ、両親の思いは、娘たちに自分の世代の母語を伝えないことによって、何代にもわたって続いてきた民族紛争(≒言葉と宗教の違いに起因する争い)の連鎖を断ち切ろう、とするところにあった。

う~ん。究極の選択だなあ。自分たちの母語や文化を守るために、命を賭して戦う人たちがいる。ある国家がその版図を拡げる手段として植民地の人たちに母語とは異なる言語の使用を強要してきた歴史がある。今も、言葉と宗教の違いによる争いは絶えることがない。

このコメンテーターの両親は、自らの母語=文化を捨てることによって、平和を選び取ろうとしたのだ。ぼくは、この判断の可否を論ずることは出来ない。ただ、この両親の限りない哀しみと娘たちへの愛情を思うばかりである。

翻って。
昨今、幼児期から自分の子供に英語を学ばせる親が増えているという。インドや中国などでも、類似の状況はあるようだ。
この親たちは、上記のシンディ親子について、どう思うだろう。

ちなみに、このコメンテーターの英語の発音は、非常に明晰で知的である(とぼくには聞こえる)。

2004年05月26日

成都で米国産牛肉を食す

国際文字コード標準化の会議で、中国四川省の省都成都に来ている。四川料理の辛さは聞きしにまさるものがあり、日本からの同行者一同、二日目の昼食の火鍋と夕食の小皿料理までで完全にギブアップ。
3日目の夕食は、軟弱者と思いながらも、ホテルのコンセルジュ推薦の西洋料理の店に出向いた。
メニューに英語の記載があるだけで、なんともほっとした気分になる。中で目を引いたのが、米国産の牛肉。いまや、BSEのせいで、日本では食すことが出来ないので、話の種にと思って、注文した。ごく普通の米国牛のステーキだった。

それにしても、今回の日本での米国産牛肉騒ぎは、いったい何なのだろう。
とても単純な疑問なのだが。
ある日、米国でBSEに感染した牛が発見された。
日本は、ほぼ即座に、輸入禁止の措置を執った。
しかし、すでに輸入されていた在庫については、何の措置も執らなかった。
結果的に、吉野家などの牛丼店は一時的なブームに沸き、在庫の払底と共に、他のメニューへの転換を迫られた。
ぼくが不思議に思うのは、日本の行政は、どうして、米国産肉の輸入禁止措置を執ったのに、すでに輸入された流通在庫には、何の措置も執らなかったか、ということだ。
だって、BSE汚染の潜在的な可能性は、すでに輸入された肉も、これから輸入される肉も同じではないのか。これから輸入される肉が危険ならば、すでに輸入された肉も危険なはず。それなのに、日本の行政は、国内の流通在庫には一切手を付けることをせず、消費者に至っては、潜在的にBSEの危険性をはらむと思われる牛肉に蝟集して消費に励んだ、というわけだ。
挙げ句の果てに、日本政府が米国政府に繰り返している主張は、「全頭検査の問題は、科学的な問題ではなく、日本の消費者の心情的な問題だ」云々。
一方で、BSEが心配だから全頭検査をしろ、と言い、一方で、牛丼店に蝟集する日本の消費者、っていったい何なのだろう。また、そのような矛盾した行動を取る消費者の動向に唯々諾々と従う(ように振る舞う)日本の行政って、いったい何なんだろう。
不思議だなあ。

そのうち、米国産牛肉を使った牛丼を中国で食べるツアー、とかが企画されたりして。

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