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2004年11月 アーカイブ

2004年11月08日

湘南フレンチの明日へ

高尾シェフの訃報を聞いた。
聞いたと言っても、最初は間接的で、大島武さん(大島渚監督のご子息)からの情報だった。大島さんとは、育った環境が(ほぼ12年の時間差はあるが)同じだったし、お父上を介して、以前藤沢市長をしておられた葉山俊さんや指揮者の福永陽一郎さんといった共通の知人があったりで、湘南地方の風土や文化の話をいろいろした。
その中に三笠会館鵠沼店の話題も含まれていた。
ぼくたち家族とこのレストランとの関係は、以前にも書いたことがある。
そんな話をしていて、高尾シェフの訃報を聞いた。
ちょっと、しまった、と思った。
話を聞いてみると、随分以前のことで、ぼくは、高尾シェフが亡くなってからも、一度ならず三笠会館鵠沼店に行っていることになる。漠然と、移動されたか引退されたのかなあ、などと思っていたが、敢えて問いただすこともしていなかった。
11月6日(日)、久しぶりに(いつもは6月の妻幸子の誕生日周辺と10月のぼくたちの結婚記念日周辺に行くのだけれど、この春は、家族のスケジュールがうまく合わずに行くことが出来なかった)三笠会館鵠沼店に行った。ローストビーフディナーの案内が送られてきたことも僕たちの背中を押した。
長男巌生の嫁奈保美も含めて6人で、至福の時を過ごした。
その折り、ふと思いついて、以前、ぼくたち夫婦の銀婚式を祝ったときに、備忘のために書いておいた駄文を打ち出して持参し、山岸支配人に手渡した。
山岸支配人も、ぼくたちの銀婚式のことを覚えてくれていた。
「あのときは、大変でしたよ。高尾と二人でメニューの相談をし、3度ぐらい試作してみましたし。まあ、わたしは味見をする係でしたが」
一瞬、食べかけのローストビーフが喉に詰まった。たった一度の、それも、たった6人だけのためのメニューのために、試作を3度も。まあ、元が取れないことは初めっから分かっていた。しかし、湘南フレンチの始祖を標榜する高尾シェフ自らが、それだけの労力と時間をかけて、ぼくたちの銀婚式ディナーに臨んでくださったことは、ぼくたちにとって素晴らしいプレゼントであったとともに、とても誇らしいことに思えた。
いくつかの三笠会館鵠沼店でのローストビーフの思い出が、頭の中を駆けめぐった。
先の文章にも書いたが、30年ほども前、結婚する前の幸子と最初に食べた時のこと。
ぼくたちの無理な注文に応じて、お昼の時間に特別に焼いてくださった時のこと。やや小振りな塊をそれぞれの皿に切り分けてくださった後、端の部分(まあ、パンで言えばミミに当たるところ)を小さな皿に盛ってくださり
「エンドカットと言います。ちょっと塩気がきつくなりますが、これはこれでおいしいものですよ。のこりの部分は、おみやげにお包みしておきますから」
次の朝、トーストに挟んで食べたエンドカットの味は忘れることが出来ない。
そんな話を山岸シェフにしたら、
「ええ、やはり味がきつくなってしまいますから、普段はお客様にはお出し出来ません。後でお包みしておきますよ」「パンに挟むのは、大正解で、パストラミビーフ何かよりずっと美味しいですよね」
そう言えば、前回のローストビーフを切り分けてくださったのは、高尾シェフではなかった。今、思い起こすと、今回紹介していただいた芳川シェフではなかったか。
「今日は、高尾が休みを取っておりまして、代わりのものですが」
きっと、この時すでに高尾シェフは病を得ていたのだ。
芳川新シェフが、傍目に見ていても緊張しておられるのが分かった。(今回は、ずいぶんとシェフ業も板に付いていたけれど)
高尾シェフの思いでも尽きることはない。娘は、
「わたしの結婚式には、絶対に高尾さんの料理。親子が同じシェフの料理で結婚式やるなんて素敵でしょ」
などと言っていたけれど、もうかなうことはない。
小さかった子供たちが、お子さまディナーを早く食べ終えてしまい、退屈してお店の中をうろうろしていたときなど、グリルでお肉や魚介類を焼きながら、にこにことした笑顔で相手をしてくださっていた高尾シェフの姿を見ることも、もうできない。

だけどね、芳川さん。ぼくたちが結婚したとき、高尾さんはシェフではなくて二番だったのだ。
高尾さんがシェフを引き継ぎ、湘南フレンチを作り上げた。ローストビーフの伝統も引き継いだ。
そして、今の鵠沼店のシェフは芳川さんなわけだ。芳川さんには、芳川さんの湘南フレンチがあり、ローストビーフがある。
ぼくたちは、これからも三笠会館鵠沼店に通い続ける。いいお店の伝統とはそういうものであり、ぼくたちは、このようなレストランとともに家族の歴史を刻み続けてこれたことを、心から誇りに思っている。

改めて、高尾シェフに感謝
合掌

2004年11月09日

ベルリン、生活の中の音楽

10月の下旬は、標準化の会議(ISO/IEC JTC 1総会)で、ベルリンに行っていた。
ヨーロッパに行くのは年に一度程度で、いつも何だかバタバタしていて、残念ながら今まで音楽会に足を運ぶことはほとんど無かった。唯一の例外は、2001年に妻や娘とパリに行った折りの、教会での弦楽オーケストラのコンサート。
今回は、ベルリンだということもあり、出来れば、オペラの一つも見たいなあ、と思ってはいた。
しかし、ぼくは、一人で音楽会に行くのは、あまり好きではない。前に、バーンスタインとイスラエルフィルのことを書いたことがあると思うが、コンサート前後の食事や休憩の時間を一人で過ごすのは、味気ないものだ。その一人の時間の間に、せっかくの豊かな音楽が、どんどんやせ衰えてしまうような気がする。
今回は違った。頼もしい先達に出会うことが出来た。
戸島友之さん。NTTエレクトロニクスの社長をなさっていて、ISO/IEC JTC 1/SC 23のチェアでもある。ふとした会話から、戸島さんが大のオペラファンで、今回も国立劇場の椿姫を日本から予約しておられたことを知った。
こうなるともうたまらない。インターネット調べまくりで、結局はホテルのコンセルジュに頼んで、チケットを一枚手配してもらった。
ぼくが調べたところでは、ベルリンの国立劇場(staatsoper-berlin)は、日本からもインターネットでチケットの予約が出来る。ぼく自身は、どうもクレジットカード決済のところが不調でうまくいかなかったが、日本代表団の一員としてやはりベルリンにいらしていた方は、日本から予約して魔笛をご覧になったとおっしゃっていた。
ぼくが入手したチケットは、10月28日(木)のもの。一番高い席で63ユーロ。ホテルのコンセルジュに手配を頼んだので、15%の手数料を払った。支払いは、宿泊費などと一緒にチェックアウトの際に。
楽しみにしていた当日。
椿姫は、日常的なレパートリーになっている。詳しいスタッフやキャストは劇場のホームページを参照していただきたい。
古典的な衣装や舞台装置とは無縁な随分と斬新な演出だった。
舞台前面全面を、細かいメッシュの金網が紗幕のように覆っていた。これが日常的なものなのか、この出し物のためだけなのかは分からない。舞台後方のビニールのカーテンを水が伝い落ちており、背後から当てられる光を散乱させて、この紗幕に影を映し出して、なかなか幻想的な雰囲気を醸し出している。
前奏曲の始まりから、真っ白い衣装に光の当たったヴィオレッタが舞台に。
前奏曲の途中から現れる他の人物の衣装は、全員真っ黒。
驚いたことに、このプロダクションでは、前奏曲から三幕までを、休憩なしに一気に演奏した。その間、ヴィオレッタは出ずっぱり。二幕の通常はアルフレードとジョルジョ・ジェルモンだけが舞台で掛け合いをするところも、気を失って倒れている状況ながら、舞台から去ることはない。
この演出で特に興味を引いたのは、ジョルジョとヴィオレッタとの関係。ジョルジョとヴィオレッタとの肉体関係を示唆するような動作が随所に見て取れた。歌詞や音楽とは全く独立に、演出上は、ジョルジョがアルフレードからヴィオレッタを引き離したのは、娘の結婚のためなどではなく、ヴィオレッタへの横恋慕から、といった妄想を抱かせる。
二幕の、ヴィオレッタとアルフレードの二重唱、ヴィオレッタとジョルジョの二重唱が、ともにイスの小道具に使った縦の構成(ヴィオレッタが歌いながらイスの上に立ったりする)が、そっくり重なる。ジョルジョとアルフレードが言い争う場面では、ジョルジョ(あれ、アルフレードだったっけ)が、イスを投げつける場面もある。
ヴィオレッタが高級娼婦であるということを勘案すると、もしかすると横恋慕したのは、ジョルジョではなく、アルフレードだった、などといった連想も膨らむ。

休憩時間には、劇場の地下で、ワインなどの飲み物と軽いオープンサンドなどを飲食することが出来る。老夫婦がいすに座って軽食を取っている姿など、う~ん、うらやましいな。
ぼくは、シャンパンを一杯。

四幕。
開始部分は、音楽のモチーフもそうだけれど、前奏曲のシーンの再現。三幕までが、死の床にあるヴィオレッタの回想だと言うことを強く印象づけている。
ここでも、アルフレードとジョルジョの関係は微妙。ジョルジョが登場してからは、二人はヴィオレッタを挟んで、いわば線対称の横の構図を作っている。

フィナーレ、小間使いのアンニーナも含め、他の出演者はすべて舞台を去り、一人残されたヴィオレッタの絶唱で幕。ウェディングドレスを彷彿させるヴィオレッタの白い衣装だけが舞台に浮かび上がっている。

舞台がはねた後、戸島さんとヴァイセンビールを呑みながら、存分に余韻を味わった。
最後の場面でヴィオレッタが一人残されたのは、三幕までだけではなく、四幕のアルフレードやジョルジョとの再会も、ヴィオレッタが見た夢幻だったのではないか、ヴィオレッタは心底寂しい女だった、と戸島さん。

次の日、11月29日(金)、今度は、ベルリンフィルの本拠地、フィルハーモニーで行われたオペレッタガラを、今度は日本代表団の方々と総計5名で見に行った。
こちらは、随分と気楽な音楽会。小さなオーケストラをバックに、バレーあり、歌有りと盛りだくさん。前半は、こうもりを、後半はジプシー男爵を軸に、カルメンから天国と地獄のカンカン踊りまで出てきて、たっぷり2時間半。最後は、春の声とラデッキーマーチで〆。
お一人様、35ユーロ。
会議が、お昼過ぎに終わっていたこともあって、20:00開演の演奏会の前に、フィルハーモニーの近くにあるソニーセンターで、ヴィーナーシュニッツラーやソーセージをつまみながらワインを一杯。
はねた後は、ホテルのロビーで、ヴァイセンビールで反省会。

東京外大の豊島正之さんが、毎年夫人とウィーンにオペラを見に行くと、おっしゃっていたが、少し彼の気持ちが分かるような気がした。日本の外来オペラって、あまりにも値段が高すぎるし、何よりも、日々の生活とかけ離れすぎている。
もう少し時間に余裕が出来たら、幸子と一緒にヨーロッパ音楽三昧旅行に行きたいなあ。

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