« 2006年10月 | メイン | 2007年02月 »

2007年01月 アーカイブ

2007年01月16日

時代の終焉:中野幹隆の死

中野幹隆が死んだ。訃報は西田裕一からもたらされた。
中野さんは、ぼくにとって唯一無二の編集者としての師だった。初めてお目にかかったときから、三十年以上ずうっと。
最初にお目にかかったときのことを、鮮明に覚えている。
駒場の大学裏の喫茶店の二階。机の上に、『エピステーメ創刊ゼロ号』。中野さんは、三つ揃いのスーツに、やや派手な臙脂色のネクタイを身につけて現れた。そのときから、ちょっと汗っかきで柄物のハンカチーフで汗を拭き、扇子で顔に風邪を送って。
ぼくは、大学院の入試に落ち、都合二度目の留年をして、学部にとどまっていたけれど、アカデミズムの道を邁進するだけの覚悟はまだ出来ていなかった。それよりも、成定薫さんを筆頭に、まなじりを決して研究に没頭する人たちの姿に気圧されて、少し気持ちがぐらついてもいた。今の妻との結婚を考え始めていて、父から、結婚するなら自分で稼ぐようになってからにしろ、とも言われていた。就職することを考え始めていた。
そんなときに、エピステーメに出会った。指導教官だった伊東俊太郎先生が、執筆されていたこともあって、中野さんへの仲介をお願いした。
おずおずとエピステーメの編集をお手伝いしたい旨を申し出た学生を、中野さんはほとんど何の躊躇もなく受け入れてくださった。
「社長と会ってください。」
お目にかかった出版社の社長さんも、
「大歓迎ですよ。でも、後で後悔されても困るので、一応、大手出版社の入社試験も受けて、落ちてきてください。」
と。
結局、ぼくは、小学館に入社し、学習雑誌の編集部で編集者としての第一歩を踏み出すことになった。入社直後、中野さんが、
「お祝いしましょう」とおっしゃって、神保町のビアホール、ランチョンに誘ってくださった。ぼくは、ランチョンの場所を知らなかった。
「え、ランチョンをご存じないのですか? 編集者としては、モグリですよ。」
ランチョンで、中野さんは、
「木曜日の午後、ランチョンにきたときは、この席は空けておかなければなりません。吉田健一先生が座られますから」
こうして、ぼくは、中野さんから、《神田村》で編集者として暮らす作法を学び始めたのだった。
爾来、勤務先が小学館からジャストシステムに変わってからも、ジャストシステムを退社して、個人会社を足場に活動するようになってからも、中野さんとの交流は続いた。
季刊哲学の一冊を、まるごと聖書の電子化の問題に充てていただいたのは、ぼくにとってかけがえのない勲章となった。
DTPでの本作りをお手伝いしたときの《スコラエキスプレス構想》が、ぼくの個人会社名《スコレックス》の源流となった。
昨年の賀状で、お体の具合がよろしくない、といったことを知り、心の隅に引っかかるものが残った。
昨日、安斎利洋、中村理恵子、歌田昭弘らと仲間内で食事をし、帰路についたところで留守宅からの連絡が入った。思えば、西田裕一を含め、中野さんを媒介として知遇を得たり、中野さんに触発されながら、議論を重ねてきた仲間は、少なくない。
中野幹隆の死とともに、書物の一つの時代が終わった。中野幹隆の時代の終焉に、愛惜の思いを込めて合掌。

このページは xfy Blog Editor を利用して作成されました。

2007年01月24日

中野幹隆時代の終焉(承前)

《mixiに書いた日記の一部。このブログの前のアーティクルで少し触れたハイパーバイブルについて》

1991年10月に発行された『季刊哲学12号』は、《電子聖書:ハイパーバイブル=テクストの新スペキエス》と銘打たれている。

ビル・アトキンソンのハイパーカードがようやく普及の兆しを見せ始め、ハイパーテキストという言葉が一部の尖った連中の間で話題になり始めたころだった。HTMLもモザイクも、まだ、インターネットの海に解き放たれてはいなかった。

ぼくは、マックを持っていなかった(買えなかった)ので、ハイパーテキストによってもたらされる世界は、いくつかの書籍や雑誌の記事などから夢想する以外に方法はなかった。

一方、(一応)カトリックの信仰を持ち、学生時代に新約聖書学の泰斗、荒井献の謦咳に接したこともあるぼくは、特に共観福音書とよばれるマタイ、マルコ、ルカの三福音書の関係に関心があった。

ある時、共同訳(カトリック陣営とプロテスタント陣営が共同で訳した画期的な聖書)を眺めていて、突如思いついた。

「共観福音書はハイパーテキストではないか」

大げさではなく、神の啓示だと思った。

共観福音書には互いに似たような記述が多くある。

それらはつとに知られており、平行する個所を横並びに編集して一覧できるようにする努力は、手書き写本の頃から行われていた。

そして、聖書学研究の多くの部分が、平行個所の引用関係を精緻に分析することにより、三福音書の成立過程を解き明かすことに捧げられてきた。

この成果をそのまま電子化すれば、きれいなハイパーテキストになる。

いくつかの偶然が重なった。

安斎利洋さんとの思い出の共著『ターボグラフィックス』を出版してくれたJICC出版局(今の宝島)の佐藤さんが、当時、たぶん一般に手に入る唯一のMS-DOSのテキストコンソールで動くハイパーテキストツールを提供してくれた。

新共同訳の翻訳チームの一員だった福岡のイエール神父が、いくつかのボランタリーな聖書電子化プロジェクトを糾合して、信頼性の高い電子テキストをまとめていた。

そして、中野さんがいた。

たぶん、ぼくは、熱にうなされていたのだと思う。マンデルネット86の企画を、安斎さんと思いついたときもそうだったけれど、技術的に可能だと分かってしまえば、社会的な障壁などかまっていられなかった。

中野さんは、なんの躊躇もなしに、

「やりましょう」

と言った。

それどころか、このプロジェクトは、単なる福音書のハイパーテキスト化としてだけではなく、解体されるべきテキストとしての聖書(=書物)についての広汎な議論の場へと拡げられた。

皮肉なことに、ぼくが作ったハイパーバイブルは、『季刊哲学』そのものに含まれることはなかった。日本聖書協会が主張する翻訳著作権が障壁になった。

しかし、荒井献の東京大学における最終講義と若桑みどりのシスティナ礼拝堂の壁画をめぐる図像学の論文とを、ハイパーテキストとして解体し、ハイパーリンクによって異なる視点(例えば、フェミニズムの聖書学)から再構築する、といった実験を行うことが出来た。

翻訳掲載されたトマス・アクイナスとボナヴェントゥラのテキストには、『季刊哲学』からは欠落したハイパーバイブルへの外部リンクを埋め込んでおいた。

ぼくは、電子テキストの問題を考えるとき、いつも、この中野さんとの共同作業と、その後も続いた、書物の未来をめぐる議論を思い起こす。今に至るまで、巷間なされる議論で、中野さんとの議論を越えるものに出会えることは、きわめてまれなことだ。残念なことに、中野さんの書物の未来に対する絶望的な予言は、少しずつだけれど確実に現実のものとなっている。

中野幹隆の死とともに、ある時代が終焉を迎えたのだという思いは、日ましに強まっていく。

中野幹隆が生涯をかけて解体を試みた書物=テクストを、どのような形で未来の再生につなげていくか。ぼくたちは、中野さんから重い課題を受け継いでいる。


このページは xfy Blog Editor を利用して作成されました。

About 2007年01月

2007年01月にブログ「小林龍生の怠惰な日々」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2006年10月です。

次のアーカイブは2007年02月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。