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音楽の泉 アーカイブ

2004年05月20日

別府アルゲリッチ音楽祭と昼どきクラシック

ちかごろ、興味深い室内楽コンサートを二つ続けて聴いた。
一つは、5月16日(日)の別府アルゲリッチ音楽祭室内楽コンサート、もう一つは、5月18日(火)の横浜みなとみらいホールの昼どきクラシックというコンサートシリーズの一回。
ぼくにとっては、横浜のコンサートがとても楽しく興味深かった。
ウィーン・フィルのヴァイオリン、チェロ、クラリネットの首席奏者と西山郁子というウィーン在住の若手ピアニストの共演。ウィークデーの14:30開演ということで、午前中から所用で横浜に出かけていた妻と落ち合って軽く昼食をとってから会場に入った。中年の婦人や高齢の夫婦が目につく。たぶん、ぼくの世代の男性は少数派なのだろうな。
町の歌というニックネームを持つ、ピアノ、クラリネット、チェロのトリオに始まり、シューマンのクラリネットの幻想小曲集、無名作家のヴァイオリンとチェロ(原曲はビオラ)のパッサカリアなどなど。最後は、ブラームスのハンガリアン・ダンスで締めくくられた。
1時間ちょっとと、コンサートとしては短かったが、なんと入場料がたったの千円。毎月聴きに来る常連も多いとのこと。

コンサートの後、妻と、近くのホテルでお茶を飲みながら余韻を味わった。
演奏者(若いピアニストを除いて)もみんなリラックスしており、聴く側にも、何とも言えぬ余裕というかゆとりが感じられた。
かといって、演奏に手を抜くということもなく、聞き手も、たとえば、チェロとピアノで演奏されたブルッフのコル・ニドライなど、最後の余韻まで聴き逃すまいとするように、拍手が始まる前に、絶妙な空白があった。一方、カステルノーヴォ=テデスコによるヴァイオリンのためのセビリアの理髪師のテーマによるパラフレーズ(初めて聴いた楽しい曲!)など、演奏を終えるか終えないかのうちに盛大な拍手。曲による拍手の間合いの違いからも、聞き手の成熟ぶりが素直に感じられた。
このような反応が、演奏者によい影響を与えないわけはなく、会場には演奏者と聴衆との間の心地よい一体感が拡がっていた。

夕方の横浜港を眺めながら、ぼくたち夫婦は、何とも言えぬ贅沢な時間の余韻を過ごしたのだった。

今聴いたばかりの楽しい演奏会の印象は、自ずから、少し前に聴いた別府でのコンサートを思い起こさせた。

決して悪い演奏会ではなかった。今年で6年目を迎えるというアルゲリッチがプロデュースする音楽祭の掉尾を飾る室内楽コンサートで、音楽祭の参加者総出演で、何と16時開始で終わったのが22時という文字通りのマラソンコンサート。さまざまな弾き手が入れ替わり立ち替わり趣向を凝らした曲目を演奏するのだから、まあ、体力さえあればさぞ楽しい演奏会になるだろうと思いきや、正直なところ、楽しさもそこそこのものだった。というか、演奏者と曲目による落差が非常に大きかった。
不満の一つ。中国のベテランピアニスト、フー・ツォンが弾いたモーツァルトのコンチェルト。
ピアニストの演奏スタイル(大時代がかったショパン風のもの)と、コンサートホールのピアノ(おそらくはニューヨークのスタインウェイ)、若手演奏家たちによる弦楽合奏(管楽器はなし)、近代的な指揮の教育を受けたとはとても思えない指揮者(後で知ったのだが、ロシア生まれでアメリカ在住のヴァイオリニストらしい)といった組み合わせからは、何とも奇妙奇天烈な食い合わせの悪いばらけた印象の音しか聞こえてこなかった。
急いで付け加えておくが、個々の演奏者が決して悪いということではなく、フー・ツォンがアルゲリッチとやったモーツァルトの連弾曲など、個性の違いを認め合った上で合わせよう、といった大人の遊び心が感じられて、それなり以上に楽しめたのだが。

不満の二つ。
イダ・ヘンデルという御年84歳というかつての天才ヴァイオリニスト。
うーん、昔は良かったかもしれないけれど。毒のある言い方になるが、かつての人気歌手が落ちぶれて場末のホテルでディナーショーをやっている感じ、とでも言えばいいのだろうか。
アルゲリッチとのフランクのヴァイオリンソナタを皮切りに、延々と彼女のゆったりしたテンポの大時代がかった演奏を聞かされたのには、正直なところうんざりした。追い越しもままならない細い坂道で、紅葉マークの車の後ろについたような気持ち、とでも言えばいいのだろうか。伝説は伝説として、潔くもっと早くに引退していれば良かったろうに。

不満の三つ。
コンサートが終わって、客席中央前方に座っていた男性が、スタンディングオベーションを始めた。ぼくは、ブーイングこそ控えたものの、とても、盛大な拍手をする気にはなれず、儀礼的な軽い拍手をしていた。
驚いたことに、その男性は、客席の後ろを振り向いて、他の聴衆に向かって、手を動かしてスタンディングオペーションを促したのだった。
こういう気分を、鼻白むって言うんだろうな。
本人が自己陶酔するのはご自由だが、それを他人に強要するのはやめていただきたい。
イダ・ヘンデルの演奏だって、蓼食う虫も好き好きで、魂が打ち震えるほど感動する人がいるかもしれないし、別に、そのことをとやかく言うつもりはない。
しかし、アルゲリッチの出番が終わった後、歯が抜けるように空席が目立ち始めた客席の、いささか寂寞とした雰囲気が分からなかったのだろうか。もしかしたら、イダ・ヘンデルの音楽に共感できない聴衆がいるかもしれない、という想像力は持てなかったのだろうか。

ぼくは、せっかく別府にまで招いてくれた友人への感謝の気持ちが、その男性のせいで、少し後味の悪いものになったことが、残念でならない。

別府アルゲリッチ音楽祭が、地元の多くの音楽愛好家によって支えられていることは想像に難くない。受付やら休憩所の飲食物の販売やら、みなさん、気持ちよく対応してくださっていた。
しかし、このコンサートは、有料のコンサートで、聴きに来ている人たちは、みな客のはずだ。テレビのお笑い番組の公開録画ぢゃあるまいし、聴いた音楽の評価を、どのような形で表すかは、いわば聴衆一人一人の権利と言ってもいいものだと思う。
ぼくは、スタンディングオベーションを強要した男性に、ある種の独りよがり、独善を感じた。
地方都市で、上質な音楽を提供し続けることが困難なことは理解しているつもりだ。だからこそ、個々の演奏者に対しても、プロデュースを行ったアルゲリッチに対しても、時には厳しい評価を表すことが、音楽祭をより良いものに育てていくことに繋がるのではないか。

横浜の昼どきクラシックを聴いて帰った後、ぼくたちは、7月と8月のコンサートのFAX予約も行った。このシリーズ、人気が高くて、FAX予約は、時に抽選になるらしい。

2004年05月22日

La Folia

顧問会計士の中森さんとの定例打ち合わせのため、都内に向かう電車の中で。
妻の幸子が、
「今朝、FMでやっていたのだけれど、La Foliaって、ずいぶんいろいろな時代のいろいろな人がいろいろな変奏を書いているのね」
子供たちが幼かったころ、鈴木メソッドの練習でさんざん聞かされた曲だけれど、もちろん、鈴木メソッドでやるのは、そのうちの、ごく一部の変奏のみ。
で、La Foliaの"Folia"がどうにも気になってたまらなくなった。
たとえば、タランチェラ(tarantella)というのは、タランチュラ(tarantula)という南欧産の毒蜘蛛に刺されてのたうち回る様子からの連想で付けられた激しい舞曲の種類を指すし、ディエスイレ(Dies Irae)は、ご存じ、カトリック典礼の死者のためのミサの続唱で、このメロディーが、ベルリオーズの幻想交響曲やラフマニノフのパガニーニ変奏曲など、多くの曲に使われている。
で、La Foliaは何なのだろうと思って、自宅に帰ってから調べたら、何と、
folia⇒foliumの複数形
folium⇒《紙などの》一葉、一枚
ということで、目から鱗、胸のつかえがスッと落ちた。
folioというのは、書物の世界で二つ折り版のことを指すが、元々は、印刷した紙の一葉から来ているし、金融業界で使われるportfolioも同語源。
で、幸子に
「要は、La Foliaって、音楽のミルフィーユだね」
などと、軽口を叩いて、念のために辞書を見てみたら、
mille-feuille⇒《「千枚の葉」の意》フランス風菓子の一。
とあって、これも同語源。
ついでに、最近健康サプリとして注目されている葉酸もfolic acidで、同語源。
いやあ、いい勉強になりました。
トリビアするかなあ。

2004年07月06日

グールドとトロント

トロントから帰ってきて、例によってOn the Mediaを聴いていたら、グレン・グールドの話題が耳に入ってきた。(スクリプトはここ
そう言えば。グールドはカナダ人で、トロントに住んでいたのだった。
ちょっと、しまった、と思った。しかしまあ、すぎてしまったことを後悔しても仕方がない。
この番組は、なかなか面白かった。
簡単にまとめると。グールドの「コンサートは死んだ」という象徴的な言葉を敷衍していく。
グールドがコンサート会場での演奏を放棄した 理由の一つは、座席による音響の違いにより、音楽の聞こえ方に大きな不公平があること。グールドは、すべての聴衆が平等に均一の音楽を享受することを理想とした。特に、グールドの耳には、コンサートホールの残響は、ある種の夾雑物として聞こえた。
もう一つの理由は、聴衆自身にあった。グールドは、聴衆を恐れていた。聴衆の心の片隅にある、ミスを期待する悪意が、グールドには耐えられなかった。
公開演奏を放棄したグールドは、最新の電子技術を用いた、理想的な一対一の音楽を目指した。デッドな音響のスタジオでオンマイクで録音された音楽は、聞き手の耳には、自分のためだけに演奏されたインティメイトなものに聞こえる。
また、録音された多くの試演を時間をかけて聞き直すことによって、演奏する側にも新たな発見、後編集による、より高度な創造行為の可能性も生じる。
このような姿勢は、従来の演奏スタイルに固執する演奏家たちからは、蛇蝎のように嫌われた。純粋主義者による完全主義者に対する憎悪。

グールドが死んで、もう20年以上経つ。彼の死の前後、彼の最晩年の録音の一つ、バッハのゴールドベルク変奏曲を、ある時期のぼくは、毎晩のように聴いていた。
編集者として、ようやく見習い状態を脱し、自分自身の仕事が出来るようになったころだったろうか。忙しくて、毎晩、帰宅は深夜だった。家族はとっくに寝ている。仕事の緊張感で、頭の芯の部分が変に覚醒していて、目が冴えてしまい、眠るどころではない。
ゴールドベルク変奏曲のLP(そのころは、まだCDは普及していなかった)に、そっと針を落として、スコッチの水割りを手に、いすに腰をかける。一口、口に含んで、そっと目を閉じる。
たいては、表面の間は眠れない。レコード盤をひっくり返し、水割りをもう一杯作り。いつのまにか、眠りに落ちていて、針は自動的に上がり、静寂が訪れている。氷が溶けきった薄い水割りを飲み干して、ベッドに潜り込む。

このような日々が、何日続いただろうか。ゴールドベルク変奏曲以外の曲は、念頭にも浮かばなかった。そもそも、この曲は、ある貴族の安らかな眠りのために、作曲されたと言われている。
ぼくは、グールドの異様に遅いテンポのこの曲の演奏を、深夜一人で独占していたのだった。

それからしばらくして、かなり熱心なコンサートゴーアーだったぼくは、突如として、コンサートに足を運ばなくなった。
きっかけは、バーンスタインがイスラエルフィルと共に演奏した、マーラーの第九交響曲。1985年9月8日(日)、NHKホール。
レニーファンの間では、歴史的な名演として評価の高い演奏会だ。
たしかにぼくも、まさに、金縛り状態で、演奏開始から最後まで、微動だにせずに引きずり込まれた記憶が、鮮明に残っている。

しかし。

この日、ぼくは、一人で渋谷に出かけた。時間が中途半端だったし、一人でレストランに入って食事をするのも億劫だったので、途中のマックでハンバーガーを食べた。NHKホールの周辺では、イスラエルの政策に反対する左翼の宣伝カーが、アジ演説をがなり立てていた。機動隊の警備と、入場の際の厳重なボディーチェック。たまたま小さなアーミーナイフを持っていたぼくは、咎められたらどうしよう、と内心びくびくしていた。
歴史に残る感動的な演奏の余韻に浸りながら、ホールを出たぼくを待っていたのは、週末の渋谷の喧噪だった。若者たちの汗と雑多な音楽。

ぼくには、世俗と隔絶されたホール内の出来事と、日常生活の流れとの乖離が、もはや耐えられないものに思われた。それ以来、15年ほどもの間、ぼくは一切コンサートを聴きに出向くことはなかった。
いそいで付け加えておくが、けっして、ぼくの生活から音楽が消え去ったわけではなかった。アマチュアのオーケストラでの演奏も続けていたし、下手なピアノを爪弾くこともしていた。CDやテレビなどでも音楽は聴いていた。ぼくが拒絶したのは、商行為としての音楽興業だけだった。

グールドについての番組を聴きながら、ぼくは、上記の二つのことを思い起こした。ぼくの小さな体験の意味を、グールドは、夙に意識して、自らの生き方として選び取っていたのだ。

そして。

おそらくは、グールドが演奏音楽のこととして捉えた問題は、じつのところ、西欧近代市民社会と国民国家の問題と、そして、ぼくたちが今直面しているメディア技術の問題とを、先駆的かつ先鋭的に抉り出していたのだと、思うのだ。

マクルーハンとグールドが生きて活動したトロントという町の雰囲気に触れられたことを、ぼくはしみじみうれしく思った。

2004年07月16日

音楽と日常

なんだか、このごろ、妻とよく音楽を聴きに行く。この2週間ほどを見るだけでも、
7月2日(金)に、ミッシャ・マイスキーとチョン・ミョンフン
7月7日(水)に、昼どきクラシックで横浜室内合奏団
7月11日(日)には、洗足学園の夏の音楽祭
といった具合。自分で言うのも何だけれど、まあ、よく遊んでいるなあ。

それにしても、先日書いたバーンスタインが振ったマーラーの第九シンフォニーに端を発する音楽会行かない症候群はいったい何だったのだろう、などと思ってしまう。

と言いつつ、いささか言い訳めくが、マイスキーとチョンとの演奏会を除けば、ぢつは安いものなのだ。昼時クラシックは、お一人様800円だし、洗足学園の音楽祭は、いわば学園祭みたいなもので、オルガンを中心とするさまざまな組み合わせの音楽、打楽器のアンサンブル、弦楽合奏という3つのコンサートを梯子して、お一人様1000円(その気になれば、3日間+前夜祭の多彩なコンサートを聴き続けることが出来る)。

それでも、それぞれに十分以上に楽しむことが出来た。マイスキーがアンコールで弾いたラフマニノフのボカリースをパイプオルガンとトランペットでまた聴くことが出来たりもして。

演奏会の前後には、それぞれ妻と食事をした。特に、昼どきクラシックの後で行った横浜美術館に入っているビストロのランチは、もう、ビックリするほどのコストパーフォーマンスの高さ。オードブル+メインディッシュ+パン+デザートで、税込み1260円。素敵な音楽と併せて、心の中心からリフレッシュすることが出来た。

そう言えば、この日、ぼくたちは、朝から近くのスポーツクラブに行って、汗を流してから、コンサートに行ったのだった。贅沢と言えば、贅沢な。しかし、安上がりと言えば、安上がりな。

洗足学園の音楽祭に行ったのも、まあ、娘が通っている、ということもあるが、パイプオルガンを弾いた荻野さんの20年以上も前のカトリック藤沢教会時代を知っていて、何だか懐かしい思いがした、ということもあった。

で、想いは20年以上前の、藤沢の音楽状況に引き戻される。
そう言えば、荻野さんは藤沢教会でトランペットの林さんと組んで、コンサートをやったこともあったっけ。今回、荻野さんと一緒にやったトランペットの人は、その林さんのお弟子さんだって、プログラムに書いてあった。
そして、藤沢には、藤沢市民会館というホールがあり、福永陽一郎がいた。
ずっと以前、藤沢市民交響楽団の定期演奏会のプログラムに、雑文を書いたことがある。
若いピアニストがコンチェルトでデビューしたとき。
全部を覚えているわけではないが、その一節はよく覚えている。
「今日、一人の若者がステージに駆け上る」
そのステージは、オイストラッフ、シュワルツコップ、リヒテル、小澤征爾とSFOなどが演奏したステージであり、藤響が毎回定期演奏会を行うステージであり、藤沢市民オペラがその歴史を重ねてきたステージでもあるわけだ。
少なくとも、藤沢市民会館のステージは、ぼくが音楽と関わり合って刻んできた人生の中で、演奏する側としても演奏を聴く側としても、常に音楽生活(ドイツ語にはMusizielenという便利な動詞があるが)の場(まさにTopos)を提供し続けてくれてきた。藤沢市民会館は、生活空間の中で音楽を提供する側とそれを享受する側とを取り持つという日本では希有の出来事だったのだ。

あのNHKホールでのバーンスタイン+イスラエルフィルによるマーラーの第九交響曲の演奏は、そのような生活の場と繋がった音楽とは対極のものではなかったか。

もう一度、昼どきクラシックの話に戻る。
演奏会が終わった後、ホールのチケット売り場には、次回のチケットを購入して帰る人の長い列が出来ていた。その行列自体に、ぼくは、何だかゆったりした昼下がりの時間の流れに身を委ねる心のゆとりのようなものを感じたのだった。

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2004年11月09日

ベルリン、生活の中の音楽

10月の下旬は、標準化の会議(ISO/IEC JTC 1総会)で、ベルリンに行っていた。
ヨーロッパに行くのは年に一度程度で、いつも何だかバタバタしていて、残念ながら今まで音楽会に足を運ぶことはほとんど無かった。唯一の例外は、2001年に妻や娘とパリに行った折りの、教会での弦楽オーケストラのコンサート。
今回は、ベルリンだということもあり、出来れば、オペラの一つも見たいなあ、と思ってはいた。
しかし、ぼくは、一人で音楽会に行くのは、あまり好きではない。前に、バーンスタインとイスラエルフィルのことを書いたことがあると思うが、コンサート前後の食事や休憩の時間を一人で過ごすのは、味気ないものだ。その一人の時間の間に、せっかくの豊かな音楽が、どんどんやせ衰えてしまうような気がする。
今回は違った。頼もしい先達に出会うことが出来た。
戸島友之さん。NTTエレクトロニクスの社長をなさっていて、ISO/IEC JTC 1/SC 23のチェアでもある。ふとした会話から、戸島さんが大のオペラファンで、今回も国立劇場の椿姫を日本から予約しておられたことを知った。
こうなるともうたまらない。インターネット調べまくりで、結局はホテルのコンセルジュに頼んで、チケットを一枚手配してもらった。
ぼくが調べたところでは、ベルリンの国立劇場(staatsoper-berlin)は、日本からもインターネットでチケットの予約が出来る。ぼく自身は、どうもクレジットカード決済のところが不調でうまくいかなかったが、日本代表団の一員としてやはりベルリンにいらしていた方は、日本から予約して魔笛をご覧になったとおっしゃっていた。
ぼくが入手したチケットは、10月28日(木)のもの。一番高い席で63ユーロ。ホテルのコンセルジュに手配を頼んだので、15%の手数料を払った。支払いは、宿泊費などと一緒にチェックアウトの際に。
楽しみにしていた当日。
椿姫は、日常的なレパートリーになっている。詳しいスタッフやキャストは劇場のホームページを参照していただきたい。
古典的な衣装や舞台装置とは無縁な随分と斬新な演出だった。
舞台前面全面を、細かいメッシュの金網が紗幕のように覆っていた。これが日常的なものなのか、この出し物のためだけなのかは分からない。舞台後方のビニールのカーテンを水が伝い落ちており、背後から当てられる光を散乱させて、この紗幕に影を映し出して、なかなか幻想的な雰囲気を醸し出している。
前奏曲の始まりから、真っ白い衣装に光の当たったヴィオレッタが舞台に。
前奏曲の途中から現れる他の人物の衣装は、全員真っ黒。
驚いたことに、このプロダクションでは、前奏曲から三幕までを、休憩なしに一気に演奏した。その間、ヴィオレッタは出ずっぱり。二幕の通常はアルフレードとジョルジョ・ジェルモンだけが舞台で掛け合いをするところも、気を失って倒れている状況ながら、舞台から去ることはない。
この演出で特に興味を引いたのは、ジョルジョとヴィオレッタとの関係。ジョルジョとヴィオレッタとの肉体関係を示唆するような動作が随所に見て取れた。歌詞や音楽とは全く独立に、演出上は、ジョルジョがアルフレードからヴィオレッタを引き離したのは、娘の結婚のためなどではなく、ヴィオレッタへの横恋慕から、といった妄想を抱かせる。
二幕の、ヴィオレッタとアルフレードの二重唱、ヴィオレッタとジョルジョの二重唱が、ともにイスの小道具に使った縦の構成(ヴィオレッタが歌いながらイスの上に立ったりする)が、そっくり重なる。ジョルジョとアルフレードが言い争う場面では、ジョルジョ(あれ、アルフレードだったっけ)が、イスを投げつける場面もある。
ヴィオレッタが高級娼婦であるということを勘案すると、もしかすると横恋慕したのは、ジョルジョではなく、アルフレードだった、などといった連想も膨らむ。

休憩時間には、劇場の地下で、ワインなどの飲み物と軽いオープンサンドなどを飲食することが出来る。老夫婦がいすに座って軽食を取っている姿など、う~ん、うらやましいな。
ぼくは、シャンパンを一杯。

四幕。
開始部分は、音楽のモチーフもそうだけれど、前奏曲のシーンの再現。三幕までが、死の床にあるヴィオレッタの回想だと言うことを強く印象づけている。
ここでも、アルフレードとジョルジョの関係は微妙。ジョルジョが登場してからは、二人はヴィオレッタを挟んで、いわば線対称の横の構図を作っている。

フィナーレ、小間使いのアンニーナも含め、他の出演者はすべて舞台を去り、一人残されたヴィオレッタの絶唱で幕。ウェディングドレスを彷彿させるヴィオレッタの白い衣装だけが舞台に浮かび上がっている。

舞台がはねた後、戸島さんとヴァイセンビールを呑みながら、存分に余韻を味わった。
最後の場面でヴィオレッタが一人残されたのは、三幕までだけではなく、四幕のアルフレードやジョルジョとの再会も、ヴィオレッタが見た夢幻だったのではないか、ヴィオレッタは心底寂しい女だった、と戸島さん。

次の日、11月29日(金)、今度は、ベルリンフィルの本拠地、フィルハーモニーで行われたオペレッタガラを、今度は日本代表団の方々と総計5名で見に行った。
こちらは、随分と気楽な音楽会。小さなオーケストラをバックに、バレーあり、歌有りと盛りだくさん。前半は、こうもりを、後半はジプシー男爵を軸に、カルメンから天国と地獄のカンカン踊りまで出てきて、たっぷり2時間半。最後は、春の声とラデッキーマーチで〆。
お一人様、35ユーロ。
会議が、お昼過ぎに終わっていたこともあって、20:00開演の演奏会の前に、フィルハーモニーの近くにあるソニーセンターで、ヴィーナーシュニッツラーやソーセージをつまみながらワインを一杯。
はねた後は、ホテルのロビーで、ヴァイセンビールで反省会。

東京外大の豊島正之さんが、毎年夫人とウィーンにオペラを見に行くと、おっしゃっていたが、少し彼の気持ちが分かるような気がした。日本の外来オペラって、あまりにも値段が高すぎるし、何よりも、日々の生活とかけ離れすぎている。
もう少し時間に余裕が出来たら、幸子と一緒にヨーロッパ音楽三昧旅行に行きたいなあ。

2004年12月18日

アンサンブル・エスプリ・フランセ

フルート奏者の工藤重典さんが主宰しているアンサンブル・エスプリ・フランセのコンサートを妻と聴いた。
2004年12月14日(火)19:00~、横浜みなとみらいホール 大ホール。

素晴らしくご機嫌なコンサートだった。
コンサート前に、「54スープバー」で、8種類の野菜(+キノコ4種類)スープとチキンの赤ワイン煮込みを半分ずつ。クイーンズスクエアは、大きなツリーが飾られていて、クリスマスムード一杯。

このアンサンブルは、フルート、オーボエ、ファゴット(工藤さん的にはバッソン)、ヴァイオリン、チェンバロという、現代ではほとんど耳にすることのない組み合わせ。でも、18世紀のヨーロッパでは、ごく普通の組み合わせだった由。確かに、古典派の時代に確立した、弦楽四重奏の求心力やピアノ三重奏のダイナミックな構築性とは随分と趣を異にするが、異なる音色の組み合わせと緊張を強いることのない音楽の流れは、まさに“典雅”そのもの。大ホールの一階席だけに客を入れていたけれど、欲を言うともっと小さなホールもしくはサロンみたいなところで聴きたかった。ま、無い物ねだりというか。

選曲も良かった。
前半に、J.C.バッハ、モーツァルトの魔笛のアリアをフルートとオーボエに編曲したものを3つ、そしてヴィヴァルディ。後半は、やはりモーツァルトではじまり、アンドレ・ジョリベのフルート、ファゴット、チェンバロ(原曲はハープ)のためのクリスマス・パストラル、そして、フランセ。
アンコールの、オンブラマイフやシャンソンのメロディーによるメドレーにいたるまで、隅々まで配慮が行き届いた選曲だった。中では、ジョリベの作品が秀逸。

コンサートが終わってクイーンズスクエアに出てきたら、ちょうど、クリスマスツリーが美しいイルミネーションとともに、クリスマスソングのメドレーをやっていた。ひとしきり立ち止まって、帰路へ。

生活空間と自然につながりながら、華やいだハレの気持ちを味わうことのできた、とてもいい時間だった。

2005年07月10日

コバケンの幻想

随分と長い間ポストしなかったなあ。
理由の一つは、このブログのホストに使っているMovableTypeの脆弱性のために、恐ろしい数のスパムコメントにやられて、ちょっと嫌気がさしたことと、身辺雑事に追われて、外界に対するコミュニケーションパワーが極端に落ちていること。しかし、こんなブログでも見に来てくださる方もいるようだし、久々に気を取り直して。
7月2日(土)、日本フィルハーモニーの横浜定期で、小林研一郎指揮のベルリオーズ『幻想交響曲』を聴いた。名演と言ってもいいだろう。指揮者、オーケストラとも、この曲を自家薬籠中のものとしていて、細部にわたるまで、相互の理解が行き届いている。その上で、炎のコバケンそのものの熱のこもった演奏が繰り広げられた。
しかし、ぼくが、書きたいのは、そのことではなく、いや、演奏のすばらしさに加えて、と言おうか、演奏を聴きながら想起された一連の思い出。
30年ほども前、小林研一郎がハンガリーの指揮者コンクールで劇的な優勝をする前、ぼくは、彼の指揮で幻想のティンパニーを叩いたことがある。
全国大学オーケストラ連名(以下、オケ連)という組織があって、ぼくは、そのころ、事務局長を務めていた。
幻想のティンパニーを叩きたい一心で、仲間と言いつのって、オケ連の特別演奏会をでっち上げ、コバケンに指揮を頼んだのだった。初めは、企画のいい加減さと意図の不純さを察したのか、固辞を決め込んでいたコバケンが、曲目を聞いたとたん君子豹変、「どうしてそれを先に言わないの」の一言で、快諾してくれた。
もう、時効だと思うから告白するけれど、謝礼も払った記憶がない。確か、仲間の一人が父君の酒庫からかすめ取ってきたスコッチウィスキーと売れる保証などない入場券何枚かを手渡しただけだったと思う。
しかし、コバケンは、当時の愛車だったフェアレディーZを自ら繰って、都内大学を転々とする練習に何度も駆けつけ、精力のこもった指揮をしてくれた。
ぼくたちの演奏会の少し前に、京大のオケが幻想を演奏しており、その際、京大オケの冶金学科在籍者が、最後の楽章のための鐘を作った話を聞き及んでいたので、ぼくたちは、はるばる仲間の車で、その京大の鐘を借りに行ったりもした。そのころ京大でコンマスをやっていた神前和正君は、自らもヴァイオリンを抱えて、上京し、演奏に加わってくれた。
本番は、言うに及ばず、コバケンの熱演あって、寄せ集めのオケとしては、上々以上のできだったように記憶している。だけど、なによりも、オケのメンバー集めから、会場の手配、チケットの売りさばきと、何から何までを、自分たちでやったことで、ぼくたちには、強い友情が生まれた。
そんな演奏会だった。まあ、青春の一齣とでも言うのだろうか。

以前書いたことがあるが、ぼくには、10年以上もコンサートに行かなかった時期がある。その反動か、ちかごろは、妻と一緒に、ずいぶんよくコンサートやオペラ、歌舞伎などに行く。
そうした流れの中で、日フィルの横浜定期にも通うようになった。コバケンの幻想は、そんなぼくの近ごろの音楽生活を、直接に30年前と結びつけてくれた。
53歳のぼくは、コバケンの幻想を客席で聴きながら、20代前半に戻って、頭の中でティンパニーを叩いていたのだった。

ベルリンの伝統

いささか旧聞に属するが、この4月、International Unicode Conferenceの機会に、妻と一緒にパリとベルリンを訪れた。ベルリンでは、国立劇場で、「ノルマ」と「ばらの騎士」を、見た。もちろん、「ノルマ」もすばらしかったが、何と言っても「ばらの騎士」には圧倒された。
2004年の秋に同じ劇場で、「椿姫」を見たときにも感じたことだが、決して派手な演出ではない。舞台装置と言い、衣裳と言い、どちらかというと、簡素というか、抽象的というか、それが演出意図と言われれば、そうなのだろうが、結果的には、コストの安い舞台となっていた。
「ノルマ」は、80ユーロ、「ばらの騎士」は、65ユーロだった。日本からインターネットで注文し、チケットは、航空便で自宅に届いていた。安価だと思う。前回、ベルリンを訪れた時も、地元の方が、ベルリンの歌劇場は、ドイツの他の都市に比べて、入場料が非常に安い、ということを言っていた。
ベルリンは、行政の方針として、ある程度制作費を抑えてでも、市民に対して安価にオペラを見る機会を提供しようとしているのだと思う。
しかし、コストを切りつめる、ということが、安っぽさにつながっていないところ、ぼくは、そこに文化の厚みを感じる。
劇場に売っていたプログラム(一つのプロダクションごとに作ると思われる、小さいが立派な装幀の本)によると。
「ばらの騎士」の世界初演は、1911年1月にドレスデンで行われている。
同じ年の11月には、今の国立劇場の前身であるLindenoperで、ベルリン初演が行われている。
現在のプロダクションの初演は、1995年3月。
同じオペラを100年近く上演し続け、現在の演出になってからさえ、10年間も演奏を繰り返している。
指揮者も歌手もオーケストラのメンバーも、おそらくは、客席のドアの開け閉めをしている職員の一人一人に至るまで、このオペラを知悉しているに違いない。オペラの制作に関わった人々のすべてが、自分が何をするべきかを完全に理解して、確実に自分の役割を果たしている。
歌唱が安定しているとか、オーケストラのアンサンブルがいいとか、現象面での個々の批評を越えるところで、高い完成度が実現している。
その上で、何とも言えない柔軟さというか、余裕というか、自由闊達さというか、音楽が生き生きと伝わってくるのだ。ぼくたちは、音楽を堪能した。
ああ、こういうのを伝統と言うのだな、と思った。
突飛な比喩かもしれないが、ベルリンが作り上げてきた音楽の伝統というのは、鍾乳石のようなものなのではないか。一滴一滴の水滴が石灰質を析出し、それが営々として積み重ねられて、強固で美しい鍾乳石を形成していく。一晩一晩の演奏が営々として積み重ねられて、ベルリンの音楽の伝統を形成していく。

もちろん、日本は日本で、能狂言、歌舞伎、落語などの文化の伝統を持っている。ぼくたちも、歌舞伎座に行けば、そのような日本の文化の伝統を身近に感じ取ることが出来る。

では、日本における西欧音楽の伝統とは。
ぼくは、決して悲観的にはなりたくない。しかし、65ユーロで、これほどの完成度を持った「ばらの騎士」を、日常のこととして見ることの出来るベルリンの市民を、ぼくはうらやましく思う。

2005年11月24日

藤沢市民オペラ《トゥーランドット》

藤沢市民オペラ《トゥーランドット》を見た。11月23日の公演。
ぼくは、1973年の第一回藤沢市民オペラ《フィガロの結婚》から、2003年の《地獄のオルフェ》まで、30年にわたってオケピットに入っていたので、じつのところ、藤沢市民オペラを見たのは初めて。正確にいうと、藤沢市民オペラと銘打った公演には、一部、プロのオーケストラがピットに入ったものもあるので、その一部は、客席から見ている。《夕鶴》《ヘンゼルとグレーテル》《蝶々夫人》など。
客席から藤沢市民オペラを見て、あらためてここで起こっていることはすごいことだ、と思った。客席は本当に満員。すべての人々が、この公演を楽しみにしているのが、ひしひしと伝わってくる。何よりも、拍手が素晴らしい。一幕のリューのアリアでも三幕のカラフのアリアでも、各幕が降りるところでも、本当に絶妙のタイミングで拍手が巻き起こる。一幕と二幕のフォルテッシモの幕切れでは、オーケストラにかぶっている拍手が、三幕のピアニッシモの幕切れでは、一瞬の静寂をおいての割れんばかりの拍手。
合唱やオーケストラの一員として参加している人たちの家族や知人も多いのだろう。ぼくの娘もバトンを引き継いでくれて、合唱の一員として参加していた。かつてのオーケストラのメンバーやダブルキャストのために今日はピットに入っていないメンバーもチケットを購入して客席にいたりする。このような舞台、ピット、客席の一体感が、何とも言えぬintimateな雰囲気を醸し出している。
ああ、これが藤沢市民オペラなのだ。
家族や知人の一体感ならば、アマチュアの発表会でもあり得るだろう。しかし、演奏のレベルとそれを楽しむ聴衆のレベルの高さ。このような場が存在すると言うこと自体が、ほとんど奇跡と言っていい。
福永陽一郎が種を蒔いたこのムーブメントは、畑中良輔さんや若杉弘さんが引き継ぎ、30年の年月を重ねてここまで成熟したのだ。
ここまで書いてきて、自覚したのだけれど。ぼくは、客席にいながら、オケピットに入っていたときとほとんど同じような気持ちでオペラの公演に参加していたのだ。緊張感はずっと少なく、楽しみはずっと多かったけれど、オペラを一緒に作り上げていく、という気持ちでは、何ら変わることはなかった。
そう、この気持ちの一体感が、藤沢市民オペラなのだ。
ブラボー。

2006年06月22日

昼どきクラシック(工藤重典+グザヴィエ・ドゥ・メストレ)

  • タイトル:昼どきクラシック(工藤重典+グザヴィエ・ドゥ・メストレ)
  • 開始日時:2006-06-21 12:10
  • 終了日時:2006-06-21 13:10
  • 場所:横浜みなとみらいホール

フランスを拠点に世界中で活躍している工藤重典さんのフルートとハープの貴公子(ポスターの謂い)メストレとのデュオ。

12時10分からの回と14時30分からの回を両方聴いた。間に、パンパシフィックホテルの中華レストラン「トゥーランドット」でランチ。なかなか豪華ご機嫌な午後だった。

メストレは、男性ゆえのハープといえども体力勝負みたいな面とものすごい繊細さを併せ持った逸材。工藤さんが気に入るのも分かるような気がする。

秀逸だったのは、2回目でやった八代秋雄編の花嫁人形と浜千鳥、メストレは特に日本の音階や箏曲に対する予備知識を持っているとも思えないのだけれど、天性の鋭い感受性で、日本音階の特長と工藤さんの息の間合いを瞬時に捉えて、単に工藤さんのフルートにぴったり付けるというだけではなく、みずから積極的に働きかけることさえやっていた。


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2006年06月25日

日フィル横浜定期:渡邉暁雄を偲んで

  • タイトル:日フィル横浜定期:渡邉暁雄を偲んで
  • 開始日時:2006-06-24 18:00
  • 終了日時:2006-06-24 20:00
  • 場所:横浜みなとみらいホール
  • 指揮:井上道義

    バリトン:大久保光哉

日フィル創立指揮者だった渡邉暁雄にちなんでめずらしいシベリウスの曲が並んだ。メインは最後の交響曲となった第7交響曲。大久保によっていくつかのスェーデン語による歌曲が歌われた。

演奏会中の井上のトークで初めて知ったのだが、シベリウスの母語はフィンランド語ではなくスェーデン語だったとのこと。

過日、フィンランドの首都ヘルシンキを訪れたことがあるけれど、道路標識など、フィンランド語、スェーデン語、英語の三つの言語が併記されていた。話を聞くと、多くの人がこの三つの言語を話すトリリンガルとのことだった。

ロシアとの関係も含め、フィンランドの置かれた悲しく複雑な歴史を踏まえて考えると、シベリウスの音楽の背後にあるヨーロッパ近代の音楽とは隔絶しながらも深い襞を畳み込んだような彼の音楽の背景にある苦渋といったものが少し分かるような気がした。

渡邉暁雄の指揮で、学生時代、ジュネス・ミュジカルというNHKがスポンサーをしていたアマチュア青少年によるオーケストラ活動の一環として、シベリウスの第1交響曲のティンパニーをたたいたことがある。その前の年に、尾高さんの指揮でショスタコービッチの第5交響曲のティンパニーをたたいてやらかした大チョンボの雪辱に、とスケルツォのティンパニーソロを見事に決めたつもりが、放送では「時間の都合」でそのスケルツォ楽章を丸ごとカットされてしまった、というほろ苦くも楽しい思い出がある。あの演奏会後の打ち上げて、アケちゃんがサインしてくれたズボンは、ずいぶん長い間、小澤征爾がサインしてくれたTシャツとともに、ぼくの部屋に飾られていたっけ。

 


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2006年09月12日

横浜オペラ未来プロジェクト2006 「コジ・ファン・トゥッテ」

セミ・ステージ形式

指揮 村中大祐 / 演出 M.ハンペ

フィオルディリージ 渡海千津子

    ドラベッラ 向野由美子

    デスピーナ 菊地美奈

    フェランド 馬場崇

    グリエルモ 青山貴

ドン・アルフォンソ 清水宏樹

いやあ、楽しめました。なによりも、プロダクション全体が若さに満ちていて溌剌としている。オーケストラやソリストだけでなく、助演者まで含めて、みながすごく楽しそうに積極的に上演に係わっているのがよく分かる。
オーディションを経て選ばれた、将来を嘱望されたすごく優秀な演奏者たちと歌手たちがいて、意欲と使命感に燃えた指揮者と練達の演出家が手をつなぎ、公演をゴールとしながらも、公開練習やアウトリーチを通して、市民へのサービスも考えられていて。
演出がよく考えられていて、簡素な装置を使いながらも、コジの人間関係をすごくわかりやすく舞台上で表現していた。陳腐といえば陳腐なストーリーとモーツァルトの限りなく美しい音楽。男女の感情の音楽によるカタログだな、これは。コジにはまる人が多くいることも納得できる。
オケも歌手もまだまだほとんど真っ白で、マエストロ村中が、どのようにこのアクティヴィティに街の色や匂いをつけていくのか、これからがとっても楽しみ。
見ていた自分までもが若返ったような、ほんとうに爽やかなオペラ公演だった。
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2006年10月06日

弥勒忠史演出:劇場支配人

7月16日(日)横須賀芸術劇場。

モーツァルトのアリアや重唱がたった4曲しかない小さな音楽劇。

弥勒さんは、これを、横須賀芸術劇場自主公演のオーディションという設定に置き換えて、みごとに時空の垣根を取り払い、あっという間に観客を巻き込んでしまった。

短い上演時間故に上演機会の少ないこの作品に、古楽器アンサンブルのメンバーのオーディションというおまけを付けることで、顧客満足度も一気にアップ。

とくに、《劇場支配人》の制止を振り切って演奏されたリコーダーによるトルコ行進曲(K.331の最後の楽章)が圧巻だった。もうやりたい放題のパラフレーズ、いつ、元のメロディーが帰ってくるのだろうかとハラハラのしどうし。公演の成功はここで約束されたようなもの。

本番の歌手のオーディションに入っても、二人のソプラノ歌手の声の質の違いや、刀を持ち出しての大立ち回りなど、音楽的にも視覚的にも十分以上に楽しめた。

上演中提供された白ワイン(たぶんドイツの微発泡)も夏らしく爽やかでよかった。

こんな生活していていいのだろうか。


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2006年10月22日

フィガロの結婚:宮本亜門演出(横須賀芸術劇場)

  • タイトル:フィガロの結婚
  • 開始日時:2006-10-15 14:00
  • 終了日時:2006-10-15 18:00
  • 場所:横須賀芸術劇場
  • 指揮:現田茂夫

    演出:宮本亜門

    出演:アルマヴィーヴァ伯爵 黒田博、伯爵夫人 佐々木典子、ケルビーノ 林美智子、フィガロ 山下浩司、スザンナ 薗田真木子 他

    合唱:二期会合唱団

    管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団

    装置:ニール・パテル 衣装:前田文子 照明:大島祐夫

モーツァルトイヤーということなのだろう。今年は、さまざまなところでさまざまなモーツァルトの作品が上演された。ぼくたち夫婦も、それなりに恩恵を受けた。どこだったか東欧の歌劇場のドン・ジョヴァンニに始まり、国立劇場の魔笛、横浜オペラ未来プロジェクトのコジ、そして、今回のフィガロ。ドン・ジョヴァンニが一番凹だったかなあ。なんだかうら寂しくてねえ。
おっと、ヨコスカポケットでやった弥勒さん演出のバスティアンとバスティエンヌ、劇場支配人も忘れられない。
で、今回のフィガロなのだけれど、どうも記憶を辿っていっても、今まで実際に見た記憶がない。藤沢市民オペラの第一回上演作品なので、30年以上前からよく知っているつもりでいたのだけれど。ポネル演出、ベーム指揮の名作映画も何度か見た記憶があるし。
いずれにしても、宮本亜門の演出もすごくオーソドックスでシャープだし、舞台の上に額縁を切り、その外側もうまく利用した舞台装置も秀逸。現田さん指揮の神奈フィル、個々のキャスト、どの一つをとっても水準以上の出来で、素直に楽しめた。
なによりも、ぼくは、初めて行ったのだけれど、ホールがとてもいい。大きすぎず、客席の配置が古典的なヨーロッパの歌劇場みたいだし(平戸間+バルコニー式の2階席以上)、『オペラの運命』(岡田暁生著、中公新書)からの孫引きの知識をひけらかして、「フムフム、下々の者は1階席ね。ぼくなんて、3階席の真ん中だもんね」などと、悦に入ったりしてね。
これで、国立劇場のマエストロやかつての日生劇場のアクトレスのようなオペラの上映とリンクした美味しいレストランが併設されていたらもう最高。
拍手のタイミングがやや遅かったのは無い物ねだりなのだろうが、これからいい上演を重ねていって、地元の観客が少しずつでも成熟していくことを祈っている。
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2007年03月08日

小倉朗とバルトーク

  • タイトル:第639回定期演奏会 Bシリーズ
  • 開始日時:2007-02-24 19:00
  • 終了日時:2007-02-24 21:00
  • 場所:サントリーホール
  •  指揮:高関健

    ピアノ:田部京子

    ピアノ:小川典子

    打楽器:安藤芳広

    打楽器:小林巨明

    児童合唱:TOKYO FM少年合唱団/世田谷ジュニア合唱団

    《別宮貞雄プロデュース 日本管弦楽の名曲とその源流4》

        * 間宮芳生:合唱のためのコンポジションNo.4 「子供の領分」

        * 小倉朗:管弦楽のための舞踊組曲

        * バルトーク:2台のピアノと打楽器と管弦楽のための協奏曲

        * バルトーク:舞踊組曲

小倉朗は、ぼくにとってとても大切な人だ。学生時代に知遇を得、亡くなるまでのほぼ20年、音楽のみならず全人格的な生きざまの師として接した。彼の最後の著書『なぜモーツァルトを書かないか』を企画編集する機会にも恵まれた。その彼の曲が演奏されると苑子夫人からうかがって出かけた。

演奏全般について正直に告白すると、ああ、小倉朗も古典となったのだ、という感慨。決して悪い演奏ではない。いや、破綻もなくうまい演奏といっていいのだろう。しかし、その破綻のなさ、見通しの良さが、どこか素直な感動に入っていけない欲求不満を残す。今から振り返ってみると、バルトークも小倉朗も前世紀の作曲家で、それぞれの曲は同じ時期に書かれたと言ってもいいほど、時間が経っているのだ。過去の偉大な作曲家の作品に連なる古典曲として冷静緻密に演奏されるのが当たり前と言えば当たり前なのか。

中では、バルトークの2台のピアノと打楽器と管弦楽のための協奏曲が、高い緊張感と密度を保持し続けていて、非常によかった。まあ、この曲の原曲は、打楽器奏者にとっては室内楽の古典中の古典ということになるのだが、協奏曲版はめったに演奏されることがないのではないだろうか。ぼくも、バルトーク自身が夫人とともに演奏したライブのレコードをずうっと以前に聞いた記憶があるだけ。ソナタ版に比しても、他のバルトークの協奏曲に比しても、うまいオーケストレーションとは言い難い。しかし、当夜の演奏は、そのことが逆に幸いして、ソリストたちの主体的な会話を指揮者とオーケストラがそっと支えるといった塩梅になっていた。

この曲を聴きながら、ぼくは、ずうっと以前に交わした小倉朗との短い会話を反芻していた。

学生時代、まだ小倉さんが藤沢市の大庭に住んでいたころ。大学の小倉ゼミ(ぼくが企画して、大学の正規の全学一般ゼミナールとして認められていた)の仲間が集まってホームパーティのようなことをやっていた。ぼくは、バルトークの2台ピアノと打楽器のソナタのミニチュアスコアを持っていって、ある個所のリズム構成について質問しようとした。

小倉さんは一言

「きみもペダンチックだねえ」

とだけ答えた。

この答えが、ぼくにはとてつもなく応えた。そして、人生の指針となった。

音楽にたどり着く道はアナリーゼだけではない。もっと大切なものが他にある。頭の中で音符を切り刻む前にもっとやるべきこと考えることがある。ことは音楽だけではない。書物にしても事象にしても、自分を埒外において批判的に見るのではなく、全人格をもって立ち向かえ。

四半世紀経って、ぼく自身の言葉で小倉朗の言葉を敷衍すると、おおむね上記のようなことになる。小倉朗は、ぼくの質問から、そのころの青臭いぼくの性向を見透かし、たった一言で生き方全体に対して大きな方向付けをしてくれたのだった。

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2007年03月28日

小澤征爾のタンホイザー

  • タイトル:ワーグナー:歌劇「タンホイザー」
  • 開始日時:2007-03-24 15:00
  • 終了日時:2007-03-28 20:00
  • 場所:横須賀芸術劇場
  • 音楽監督/指 揮  小澤征爾

    演 出  ロバート・カーセン

    出 演  タンホイザー ステファン・グールド

    エリーザベト ムラーダ・フドレイ

    ヴェーヌス ミシェル・デ・ヤング

    ヴェルフラム ルーカス・ミーチェム

    領主ヘルマン アンドレア・シルベストレッリ

    ヴァルター ジェイ・ハンター・モリス

    ビーテロルフ マーク・シュネイブル

    ハインリッヒ 平尾憲嗣

    ラインマール 山下浩司

    ほか

    管弦楽  東京のオペラの森管弦楽団

    合 唱  東京のオペラの森合唱団

    装 置  ポール・スタインバーグ

    衣 装  コンスタンス・ホフマン

    照 明  ロバート・カーセン/ペーター・ヴァン・プラット

    振 付  フィリップ・ジュラウドゥ

さてと。小澤征爾の指揮を生で聴いたのはいったい何年ぶりだろう。そして、オペラは?

もう四半世紀ほども前に、ヴォツェックを聴いたのを覚えている。演奏会形式+アルファのやり方。ステージにオーケストラが乗っており、その上に足場を組んだりして、歌手はある程度の移動と演技を行う形式。たしか、あのときも暗譜だった。今回も。

演出は、第一幕こそ、ヴェーヌスがヌードで登場したと思ったら、バッカナールでは多くの男性がこれまたセミヌードで登場して、ボディーペインティングもどきをやらかしたりして、ぎょっとさせられたものの、第二幕以降はオーソドックスな現代風演出(語義矛盾だねえ)で安心。大団円など、いささか拍子抜けするような浄化場面で、演出のロバート・カーセンが世界的に人気を博するのも納得。

歌手も粒がそろっていて破綻がなかった。ヴェーヌス役のミシェル・デ・ヤングが第一幕で足を怪我し、第三幕では代役が演技を、本人が袖で歌唱を、といったアクシデントがあったが、それもご愛敬というか、事故があってのオペラの楽しみみたいなもので、本人にはかわいそうだったが、舞台と客席の間を埋めるポジティヴな働きをしていた。(客席の一部を利用した演出も好感が持てた)

しかし、何と言っても、このオペラはオザワのオペラなのだ。パリ版を用いて、序奏から延々と続くバッカナールに入って、まずはたっぷりオーケストラを楽しんだところで、やっと歌が聴けるというところもそうだし、第二幕の有名な歌手たちの入場場面もそうだし、なにしろ、オーケストラがめっぽううまい。4階席の一番前で聴いたこともあって、オーケストラの音の分解能がとっても高くって、個々のメンバーの名人芸がよく聞こえるの。オザワがオケ鳴らしのとびきりの名手だということも、あらためて思い知らされた。でも、これってオペラなのだろうか? いや、そんな疑問を持ってもいけないのだろう。オザワが完全に掌握したオーケストラと歌手陣と合唱が、一丸となって押し出す音の洪水に、抵抗することなく身を委ねて包み込まれる。そんな楽しみ方をすればいいのだ。

この劇場は、音響もいいし、ヨーロッパの歌劇場のように二階席以上がバルコニー作りになっていることも好感が持てる。しかし、ロビーのトイレと喫茶コーナーの動線の悪さや駐車場に降りるエレベーターが一基しかないことなど、客席の扉の外の作りは、いささか興を削がれる。音楽を聴くというのは、前後の食事やホールに向かう道すがらの会話なども含めた時間の流れがあってのことだと思うのだけれど。

そういえば、歌舞伎座だって、舞台がはねた後の余韻が、地下鉄に降りる階段のところで、ブッチリと断ち切られてしまうのは、もうすこし、何とかならないかなあ。暖かくて時間に余裕があれば、新橋までぶらぶら歩いて帰る、っていう手もあるけれどね。

小澤征爾は、夏にカルメンも振る。琵琶湖ホールに出向いて、オーベルジュに泊まって、なんてことも考えていたけれど、同じ日に弥勒忠史さんプロデュースのオペラ宅配便があるので、今年はパスに決定。神奈川県民ホールで聴こうかどうか迷い中。
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2007年05月27日

セビリアの理髪師(横浜オペラ未来プロジェクト)

去年のコジがとてもよかったので、今年も。

このプロジェクトの良さを一言で表すと、さわやかさ、といったことになるかしら。

若い指揮者(大家に成り下がっていないという意味で)が、とびきり優秀な歌手とオーケストラメンバーを集めて、(いい意味で本物の)世界的大演出家の助力を得て、世界に発信できるプロダクションを作り出そうとする心意気、志が、素直に舞台と音楽全体に横溢している。見ていて、聴いていて、気持ちがいいのが。素直に楽しみ、素直に応援したいと思えてくる。

歌手のレベルがそろっている。オーディションで選ばれたソリストたちは、それぞれの声の質にぴったりと合う役柄を与えられて、無理がない。

オーケストラは、質がそろっていてテクニックもすこぶる優れている。その個々人の技量が指揮者のコントロール下で調和を乱すことなく引き出されている。

演出は練達そのもの。オペラハウスではなくコンサートホールでの上演だというハンディキャップを正面から受け止めた上で、様式感と新鮮さとを両立させた見事な舞台を作っている。一幕で、アルマビーバ伯爵から書状を見せられて、兵士の指揮官初め全員が驚きのあまり、体の動きが止まってしまうところなど、歌舞伎を彷彿とさせるストップモーションなど圧巻。

無い物ねだりをすると、それは観客の側にある。

残念ながら、やや空席が目立った。こんなにすばらしく志の高い上演がどうして満席にならないのだろう。価格だって、外来の引っ越し公演とは比べものにならないほどの低価格。そして、この真剣さ。

拍手のタイミングが少しずつ遅い。お行儀がよすぎるというか、おっかなびっくりというか。

でも、このプロジェクトを企画した人たちの志は、まさに、この部分にあるのだろう。

いつの日か、満席の客席から、絶妙のタイミングで拍手とブラボーが飛ぶ日が来る。それが文化が街に根付く、ということなのだ。

ぼくも、その日を思い描いて、このプロジェクトの応援を続けよう。一市民として。

ブラービ、横浜オペラ未来プロジェクト!
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