落ち穂拾い
ぼくが幸せだったことの一つは、若いころから何人もの優れた先達に接することが出来たこと。その人々の思い出やら、家族との日常やらを。
私信・随感
| 題名 | 日付 | 掲載誌紙 | 概要 |
| 母純子、死の顛末 | 1996年3月 | 草稿 | 私信の形を取るが、哲学書房刊行の『ビオス』に掲載することを前提として書かれた。共同作業者だった編集者/社主の中野幹隆さんの超多忙のゆえに、発表には至らなかった。 |
| 三笠会館鵠沼店にまつわる思い出 | 1997年9月 | 私信(電子メール) | 三笠会館本店リニューアルの内覧会の際、旧知の石橋支配人から、谷社長を紹介された。いい機会だったので、日ごろの三笠会館に対する思いの丈を綴ったメールを差し上げたら、思いの外喜んでくださり、関係者にも転送してくださった由。後日、鵠沼店の支配人から、丁重な礼状を頂戴し、かえって恐縮したりもした。 |
| 銀婚式ディナー | 1997年9月 | 私信(未発送) | 三笠会館社長の谷氏に宛てた私信の形を取っているが、実際には送っていない。書いた当時、妻の幸子に「やりすぎ」と言われて、送信を思いとどまった。最近になって、この料理を作ってくれた高尾シェフの訃報を聞いた。改めて読み返してみると感慨深いものがある。(2004年11月7日) |
| 福永陽一郎のこと | 2001年8月 | 私信 | 藤沢市民交響楽団を通して薫陶を受けた指揮者の思い出。 |